武装中立を志すスイス

豆知識
11 /06 2013

 武装中立とは自国軍を保有しつつ、中立主義を取ること。自国を他のいかなる体制、組織、思想からも一線を画し距離を置くことを中立といい、他国、他の組織等からの圧力を排除して中立を保つために必要であるとして、相当程度の軍事力を保持する。非武装中立論よりも現実的な考え方として認識されている。




自由について

自由と独立を守るためでなければ、どうして戦う必要があろうか。自由と独立こそは、公平と社会的正義がみなぎり、秩序が保たれ、そして、人間関係が相互の尊敬によって彩られている社会において、りっぱな生活を保障するものである。

スイスは、侵略を行なうなどと言う夢想を決して持ってはいない。しかし、生き抜くことを望んでいる。スイスは、どの隣国の権利も尊重する。しかし、隣国によって踏みいじられることを断じて欲しない。

我が国の中立は守られている。にもかかわらず、それによって我々が盲人であってよいということにはならない。

共同体全体の自由があって、はじめて各個人の自由がある。われわれが守るべきことはこのことである。

自由と独立は、断じて与えられるものではない。



民主主義と全体主義

民主主義は、何も生み出さないでじっとしていることと、破壊的に転覆することとの間に通じる、狭い、山の背のような道を、用心深くたどらねばならない。

あらゆる世代の人が、この建物の建築に自己の分担できる能力を寄与せねばならない。そして、時代遅れの制度は近代化する必要がある。

しかし、とるべき措置とその実行に関する決定権は、全て、その家屋の持ち主に属するものである。

自由はよい。だからといって、無秩序はいけない。故に、国家的独立の意味をなくして我々を弱体化させようとするイデオロギーに対して、人々の注意を喚起する必要がある。

もし、制度の改善のために何もせず、共同体の管理に参加しないならば、自分たちの制度について不平を言う資格は無い。

教育者、政党、組合、愛国的グループなど、世論に影響を及ぼす立場にある人々は、すべて、自らの責任を絶えず自覚しなければならない。

我が国の政治機構を動かしていくことに常時参加することは、賢明な国民としての行動をすることである。それは、我が国の欠点を非難するだけでは十分とは言えない。

我々一人一人が、その力の限り欠点を是正し、改良し、より、立派なものにするように努力せねばならぬ。
・・・そして、住む人の自由で幸福な生活を妨げるあらゆる外部からの侵略から、この家を守らなねばならない。

国民や、国民を代表とする議員が、常に注意深く制度を見守ることは、どうしても必要である。この注意深く見守ることによって、制度の改革が求められてくる。それは、改革であって、めくら滅法の破壊ではない。

革命は、しばしば、益よりも害となる。革命の後の恐怖政治は、歴史の示す通り独裁制による血まみれの様相を呈した。無秩序は、結局、暴君が現れて鞭を振るうことを求める。

思想の自由、結社の自由は、我が憲法によって認められている。全体主義国にはこのような寛容さは全然ない。全体主義国は、知識人、学者、芸術家を監視し、必要に応じて刑務所に入れる。いずれにしろ、公のイデオロギーに反する思想は一切発表させないのだ。

彼らの唱える政治体制が樹立された国では、どこでもあらゆる形の自由がなくなり、新特権階級が生まれ、また、世界の平和を絶えず危うくする。

いつになったら我が国にいる「新秩序」を信奉する者は、彼らが説く教えと、彼らが我が国に導入しようとするイデオロギーが具体的に実現したこととの間に、深い溝が存在していることを理解するのだろうか。


防衛について

すべての国の国民は、その願望、伝統および信条に従って自決の権利を有する。諸国は国際連合憲章の中でこの権利を正式に認めた。

従って、すべての国民は、外国の暴力行為に対しては、抵抗の権利を有する。

スイスのすべての男子も女子も、もし、敵が不法な手段で、その身体、生命または名誉を脅かすような場合には、あらゆる方法で正当防衛を行なう権利有する。この権利は誰にも否定出来ない。

我々の平和な生活をその手中に握っている強大国が、理性的であり賢明であることを、心から希望する。しかし、希望を確実な事実であると見ることは、常軌を逸した錯誤であろう。そこで、最悪の事態に備える覚悟をしておく必要がある。

たとえ国外で戦争が起きないとしても、また、大国が実際には核兵器を使用する気がないとしても、大国が、核兵器で脅して、政治的、経済的に圧力をかけることはできるし、ある民族を脅しによって従わせることもできよう。原爆に対する防御の用意を完全に行なっている民族だけが、このような圧力に抵抗することができるのだ。

われわれは、あらゆる事態の発生に対して準備せざるを得ないというのが、最も単純な現実なのである。

国民に対して、責任を持つ政府当局の義務は、最悪の事態を予想し、準備することです。

武器を取り得る全ての国民によって組織され、近代戦用に装備された強力な軍のみが、侵略者の意図をくじき得るのであり、これによって、われわれにとって最も大きな財産である自由と独立が補償されるのです。

抵抗の力は、これに参加する全ての人々が、自分に与えられた任務と、それを達成するための各自の手段方法を理解し、実地に応用できるように訓練して、初めて有効なものとなるのです。

軍隊は、その背後に国民の不屈の決意があることを感じた時、初めてその任務を完全に遂行できるのだ。

戦時において、人命保護および人命救助のために救護組織に参加するものは、手をこまねいて傍観している者よりも困難に耐えることができる。つまり、自分の任務を、義務を、はっきりと自覚している者は、混乱や恐怖に直面しても、それに簡単に巻き込まれるようなことはない。

だから、一朝有事の際に役に立ちたいと思っている者は、平時からその任務遂行のために準備をしておかなければならない。

国民各自が、戦争のショックをこうむる覚悟をしておかねばならない。その心の用意なく不意打ちを受けると、悲劇的な破局を迎えることになってしまう。

「我が国では決して戦争はない」と断定するのは軽率であり、結果的には大変な災難をもたらしかねないことになってしまう。

大切なことは、我々国民が、外敵のどのような圧力にも、どのような脅しにも屈すること無く反撃できるように、毎日心がけていることである。

世界とともに平和に生きることを欲しないスイス人があろうか。戦争を非としないスイス人がいるだろうか。我々が軍隊を国境に置いているのは、他の国が我々を平和に生きさせておいてくれる為である。

それを知らないとしたら、我々は、お人好しである、軽率だと言うことになるだろう。我々を取り囲む国々が武装し続ける限り、我々は国家の防衛を怠ることはできない。



引用:

民間防衛―あらゆる危険から身をまもる
「民間防衛」スイス政府刊よりー自由と独立、民主主義、防衛について

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